大学生活

【3】

】、【】、【3】、【】、【】、【】、【あとがき

* 4 *

 あの日以来、俺は美咲とよく買い物に行くようになった。
 玄関先でたまたま会うと、俺の方から声を掛けた。見かけないときは小坂家を訪ねるとほとんど美咲は家にいた。
 小坂さんからは二度も仲良くしてくれと頼まれているし、大家の娘ということもある。
 それに不思議なことに美咲と買い物に行った日は勉強がはかどるのだった。

* 5 *

 大学は前学期が終わり夏休みに入った。
 美咲との買い物のおかげで、順調に単位を取れたと言ってもよかった。
 美咲は特に何を話しするわけでもなくいつも黙って俺のTシャツを握って買い物についてくるだけだったが、それでも俺には十分だった。いつでもその小さな手は俺を掴んでいる。そうされるだけで俺は自分を見つめなおすことができるのかもしれない。
 春先に予想した通り、今年の夏は猛暑になった。
 初夏だというのに真夏のような暑さは、山小屋をサウナにした。扇風機を買い、なんとか暑さを凌ぐがやはり耐えられない。貯金も底をつきはじめた。
 大学も落ち着いてきたしそろそろアルバイトを探そうか、などとぼんやり考えていたが、暑さで溶けた脳が正常に働くはずがない。
 俺は近くの図書館まで行くことにした。勉強に行くわけではなく、午後の絶頂の暑さを避けるため涼みに行こうと思ったからだ。
 サウナから出ると、美咲が自宅の小さな庭にじょうろで水を撒いている。
 いつもの真っ赤な大きなリボンの代わりに今は麦わら帽子を被っている。白いワンピースはいつもと一緒だ。
 水を撒くその庭は干乾びていて、植物が生きられる環境ではなさそうだ。それでも水をびちゃびちゃと垂らしている。
「美咲ちゃん、今から図書館に行くんだけど一緒に行く? ちょっと遠いんだけど……」
 俺は聞いた。
 美咲は俺の声が聞こえなかったのか数秒間まだ水を撒いていた。いや、聞こえるように言った。美咲は眉をひそめ考え込んでいるようにも見えた。
 しかし、やがて
「うん、行く」
 じょうろの水を切りながら、美咲ははきはきといつもの無表情で答えた。
 図書館は徒歩で片道四十分はかかる。何本かバスがでているが俺は美咲が一緒なら歩いて行こうと思った。歩いて行きたかった。
「ちょっと待ってて」
 美咲はそう言うと家に引き返し、数分後小さなあの黄色い鞄を肩から提げてやってきた。
 俺はその鞄には何が入っているのかいつも気になっていたが、引き返してまで取りに行くところからみて大事なものでも入っているのだろうか、と考えた。それでも特に聞こうとは思わず図書館へと向かった。その片道もいつものように俺と美咲は黙ったままだった。
 猛暑の中図書館に到着した。
 入り口を抜けてホールに入る。中は思った通り涼しい。
 俺は初めてきた図書館だったため勝手がわからず美咲に聞いてみた。
「美咲ちゃんここ来たことある?」
「ううん、ない」
 美咲は図書館の中に入ってもTシャツを握って離さない。下を向いていたが、少しきょろきょろと辺りを見渡していることは、丸い大きな瞳の動きですぐにわかった。額に掻いた小粒の汗は前髪を貼り付けている。
 俺と美咲のあとから図書館に入ってきた男性は、奥のゲートに何やらカードのようなものをかざし中に入っていった。
 受付の女性に俺は聞いた。
「すいません、初めて来たんですけど」
「はい初めてのご利用ですね。ではこれに名前を書いていただけますか。登録制ですので住所もお願いします」
 若い女性は事務的な口調で言う。
 差し出された紙に、俺はペンで記入していく。
「妹さんはお名前だけでもけっこうですよ」
 俺が住所を思い出しながら書いていると女性は言った。
「え? あ、この子隣の家の子なんです。住所も違いますけど……」
「え?そうでしたか、すいません、よく似ていらっしゃったから」受付の女性は笑った。
「ではそちらの方の住所もお願いします」
 女性はもう一枚の紙を差し出した。
 俺は妹と間違えられたことに少し驚いた。似ているだろうか、俺は美咲を見た。
 美咲は俺を見上げて、
「届かない」
 と無表情で言った。
「あ……。そうか、ごめんごめん」
 俺は、美咲には高すぎる受付の台まで抱き上げてやった。身体に見合った体重で、よくできた人形を抱いているようだった。
 すらすらと美咲は住所と名前を書いていく。小学生にしては綺麗な字だ。
「ではこちらがカードです。磁気部分を軽くかざしてくださいね」
 女性は二人分のカードと一緒に図書館のパンフレットのようなものも渡した。美咲に一人分のそれを渡す。
 俺と美咲は磁気カードをかざしホールから図書館の中へと入る。中はホールよりもさらに涼しい。あまり広くないうえに、夏休みのためか混んでいる。図書館を横断する形で存在する長い大きな机には、何人か寝ている姿もあった
 俺と美咲は適当な場所を探す。
 窓際に空いた机を見つけた。一人分の大きさの机に椅子が二つ並んでいる。日差しがこれでもかというくらい当たっていたがカーテンを引けば問題は無さそうだ。
 美咲は椅子に座った。丸椅子で座りにくそうだったが他の席はいっぱいだったので仕方が無い。
「ここでいいか。何か本を取ってくるからちょっと待ってて。……絵本でいいかな?」
 俺は美咲に言うと、美咲は
「わたしも行く」
 はっきりそう言うとまたTシャツを握った。
 俺は雑誌コーナーから旅ガイドの週刊誌を無造作に選んだ。美咲は、犬だか猫だかわからない動物のイラストが表紙の絵本を選んだ。
 幸い先ほどの机はまだ空いていた。俺と美咲は椅子に座る。
 カーテンを引いてもその席は暑かった。図書館の常連がこの席を選ばない理由がわかった。
 こうして夏休みに図書館に来ている俺と美咲は、他人の目から見たら兄と妹に見えるのかな……。そんなことを考えながら雑誌をめくる。
 ちらりと美咲に目をやると、いつもの無表情で絵本を見ている。
 そんな真剣に見てもただの絵本じゃないか、と思ったが美咲にとっては面白いのかもしれない。ゴム紐で結ばれた麦わら帽子はいつの間に首の後ろにまわされている。
 雑誌は田舎町の河原の様子を紹介している。
 高校時代はこんなような河原でぶらぶらして時間を潰したことを思い出した。当時は何をするにもやる気が起きなかった。
 大学は、入っただけでは自分を変えてくれるような都合のいい環境ではない。目標のあるものにとっては楽しく過ごせるのだろうが、俺のようにただなんとなく入学したものにとっては、怠惰を加速させるだけのシステムだった。
 しかし、今の俺には昔と違うことがある。それは美咲の存在だった。
 こうして美咲と一緒にいると、少しだけやる気のある自分が見つけられる。美咲の何が俺を動かしているのか考えてもわからない。しかし、今もこうして自分のことを考えられるのも美咲のおかげであることは間違いない。
 図書館は相変わらず混んでいる。
 みんな考えることは同じだな、家よりも涼しいこちらでのんびりしようというわけか。
 外の暑さは今頃ピークだろう。
 少しばかりの人の声と、空調の静かな音が聞こえる。
 ほどよい室温に慣れてきた俺は、少し眠くなってきた。


続く


この作品は黒筆書房ホームページ開設記念に書き上げたものです。
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