大学生活

【1】

【1】、【】、【】、【】、【】、【】、【あとがき

* 1 *

 浪人して東京の大学に入ったというと聞こえはいいかもしれない。
 しかし、一つの目標に向かって努力したんだな、とか浪人生活の時間は無駄ではないよ、という世間からの誉め言葉は俺にはなかった。
 高校生活はだらけてばかりいた。勉強なんて大嫌いだったし、何もしない方が何かしているよりも何倍も楽だった。大学受験を迎えても、当たり前のように何もしなかった俺を受け入れてくれる大学なんてあるはずがなかった。
 高校を卒業してから二年目の春、俺は東京の大学に入学することができた。猛勉強したわけでは決して無い。
 両親からはとっくに勘当されて、嫌気がさしていた俺は上京しようと考えていた。
 東京に行くためにアルバイトをしてお金を稼ぎ、資金が貯まった年の冬に最も低レベルの大学を受験したら、たまたま受かったというだけのことだ。

* 2 *

 そういうわけで、今俺は入学の決まったN大学の周辺をうろつきながら、住むところを探している。
 春先だというのにやや気温が高く夏のように日差しも強い。
 この辺りの街並みは、閑静で真新しいアパートや住宅が建ち並んでいる。しかし、両親からの仕送りの無い俺は少しでも安い住居を見つけなければならず、大学から少し離れた郊外の方へと足を運んだ。
 郊外に出ると、先ほどの住宅街とは対照的に古ぼけた家ばかりあった。
「この辺りでもいいから安いところがあればいいけど……」
 そう思いながら目ぼしい住居を探していると、
「ちょっとそこのあんた、N大の子かい?」後ろから声を掛けられた。
「今年からN大に通うの? 新居さがしかい? お金無いのかい? ん?」
 連続で三つも俺に質問したその女性は、一見すると三十代でやや太った体格の主婦といった感じだ。
「えぇ……。まぁお金は無いですね」
 最後の質問にだけなんとか答えた。
 初対面の人にお金が無いのか、という質問をする方もする方だが、答えた自分も少し変かなと思った。
「丁度よかった! ちょっとついてきなさい。いい家があるのよ」
女性はそう言って歩き出してしまったので、俺は必然的にその女性の後を付いて行くしかなかった。
 五分ほど歩き一軒の家の前で止まった女性は、
「ここよ、ここ。どう?」その家を指差した。
 それは家と呼べるかどうか怪しいものだった。
 一言で表現するとすれば山小屋という表現が正しいだろう。大きさからしてどうみても一室しかない。外壁はすっかり風化してしまっているため、木製なのかコンクリート製なのかも判断がつかない。屋根はやや左に傾き、目についた唯一の大きな窓は半開きだった。玄関だけはしっかりしていて、この山小屋に必要なのかわからないが覗き穴も付いている。
「この家ねぇ、今年の冬までN大の四年生の子が住んでいたのよ。卒業してから今は誰も使ってなくてね。ほら、ここが取り壊されちゃうとうちの敷地も持っていかれちゃう契約でしょ。だから、誰か住んでいてもらわなきゃ困るのよ。人がいれば工事の人たちは何も言ってこないからさぁ」
 女性は早口で言った。
「はぁ……」
 俺は、家と呼ばれたそれを呆然と見つめながら空返事をした。
「あ、そうそう。私の家は隣ね。家賃なんだけど二万円くらいでどう? それとあんた名前なんていうの?」女性は俺を見て言った。
「あ、山田です。山田良太です」
 また連続で質問されたためなんとか名前だけ答える。そして慌てて聞きなおした。
「あの、今二万円って言いました!?」
「うんうん。あら、高いかしら? 前の子は三万円だったんだけどねぇ」
 女性は首を傾げる。
「い、いえ! 二万円でいいです! お願いします!」
 と、俺は思わず承諾してしまった。
「そう。よかったわぁ。よろしく。そうそう、娘がいるから挨拶していく?」
 女性はそう言って山小屋の隣の家に向かう。表札には「小坂」とある。山小屋より少し大きいが、それでもやはりこの辺りの住宅に見合ったサイズの一軒家だった。
 女性は玄関を開けて、
「みさきー! いるんでしょう! 新しいお隣さんよー!」と叫んだ。
 玄関をくぐると外よりかは少し涼しい。
 すると奥から小さな女の子が現れた。小学一年生だろうか。かなり小柄で色白なその女の子は、サイドに二つに巻かれた黒髪の上には大きな赤いリボンをしている。白いワンピースが白い肌を溶かすように覆っている。
 ゆっくりと歩いてきて女性の真横に添うように立ち、じっと俺を見つめる。その瞳は大きく丸い。
「私の娘の美咲ね。N大の裏にある小学校の三年生よ。美咲、こちら山田さん。新しく隣に引っ越してきたN大の学生さんよ」
 母親である小坂さんは娘の頭に手を置いて俺に紹介した。
「美咲……ちゃんか。よろしくね。美咲ちゃん」
 俺はかがんで女の子に話し掛ける。
「……よろしくおねがいします」
 美咲と呼ばれた女の子は、高い声で小さいがはっきりした口調で返事をして、奥の方へ走っていってしまった。無表情だったので怒っているのかと俺は思った。
「あら、けっこう人見知りなのに。大抵初めての人と会うと、挨拶もせずに私の後ろに隠れちゃうんだけどねぇ」
 小坂さんは笑いながら言う。
「そうそう。電気や水なんかはまだ通っているから。家具も前の子が置いていったし、今日からでも住めるからね」
 そう言いながら下駄箱の上の小さな箱から小さな鍵を出して俺に手渡した。
「あ、どうも。でも本当に二万円でいいんですか?」
 鍵を受け取りながら言う。
「いいのよ。こちらとしても住んでくれると助かるしね。それよりあの子、山田さんのこと気に入ったみたいだから仲良くしてあげてね」
「はぁ……」
 俺は契約書にサインなどはいいのかと聞いたが、小坂さんは別にいいのよ、と言って家の奥へ引っ込んでしまった。
 外に出るとまた一段と気温が上がっていた。
 山小屋の前に戻ってきて改めて自分の住む家として眺めてみた。本当に俺はここで暮らせるのか不安である。
 山で遭難した人は、自分は助かるのだろうかという心境で、山小屋で助けを待つのだろうがその遭難者の気持ちが少しだけわかった気がした。
 やや錆び付いた鍵穴に鍵を入れ、中に入る。
 小坂家の影に隠れているため中は涼しいかと思ったが、どうやらこの山小屋は外温調節が苦手らしい。
 案の定一室の部屋は、五畳半といったところか。もしかしたらもっと狭いかもしれない。薄汚れたカーペットが敷かれているため正確な広さはわからない。
 玄関の左手にはトイレが一体になったバスルームがあり、その扉の向かいには最低限の機能を備えたキッチンがある。どれも、便所、風呂場、台所といった方がお似合いかもしれない。
 埃や汚れは酷かったが、内装の造りは割りとしっかりしている。
 家具に期待はしていたが、小さなちゃぶ台と座椅子があるだけだった。
「やはり断ろうか……」
そう思ったが、二万円の家賃は東京では破格であるため思い留まった。
 部屋の奥にある半開きだった窓に手を掛ける。どうやらぴったりと閉まらないらしいが、この辺りに泥棒がでることは無いだろう、そんなことを考えながら窓の外に目をやると小坂家の二階が見えた。
 一瞬、大きな真っ赤なリボンが窓際から引っ込んだように見えたが気のせいだったかもしれない。


続く


この作品は黒筆書房ホームページ開設記念に書き上げたものです。
連続小説でまだまだ続きます!
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とはいうもののまだ続編がありますので、もしよければまたお越しくださいね。
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