霧と霞と小さな魔法

【3】

】、【】、【3】、【】、【】、【あとがき

* 4滴の確立 *

   目覚まし時計が鳴り、目が覚める。朝の十時。今日は土曜日で高校は休みだ。
 今日も朝から雨が降っている。もう何日も太陽を見ていない。さすがにこうも雨が続くと、太陽が少し恋しくなる。
 昨日家に着いたのは結局夜の九時だった。父さんはその頃、まだ仕事から帰ってきていなかったが、母さんは僕の帰りを、夕飯を食べずに待っていた。
 どうしたの? と心配されたので、友達に誘われて遊んできたのだ、と答えた。こういう小さな嘘を平気でつけるようになってしまった僕は、ひょっとしたら心のどこかで両親を恨んでいるのかもしれない。
 洗面所に行き、顔を洗いながら昨日のことを思い出す。
 雨の中輝く白色の紫陽花。その奥にぽつんと存在していた古い神社。そして、そこで出会ったレインコートの女の子。名前は確か雨貝香澄といったか。あの子はあそこで何をしていたのだろう、だんだんと気になってきた。
 頭の中は梅雨の雨のようにぼんやりとしたままだが、顔はすっきりとした僕は台所へ向かう。
 土、日でも父さんはあまり休みが無い。今日もすでに仕事に行ったようだった。
 台所では、母さんがテーブルの料理にラップをしていた。
「おはよう。丁度よかった。ご飯作っておいたから食べちゃってね。パンを食べてもいいけど、煮物を片付けちゃってくれないかしら? まったくこの季節はすぐ痛んじゃうんだから……」母さんが言った。
「私、今日からパートに行くから、また夕方はよろしくね」
「うん、わかったよ。もう出るの?」
 僕は煮物を電子レンジに入れながら尋ねる。母さんはすでに家を出る準備を始めている。
「そうね。もう出るわよ。留守番よろしくね」
 しばらくしてから母さんはパートへと出かけていった。
 僕はテレビをつけ、朝食兼昼食を食べ始めた。片付けてね、と言われた煮物は量が多く、一人では食べ切れそうにない。半分以上はまた冷蔵庫行きとなりそうだ。
 天気が気になりチャンネルを回したが、天気予報はやっていなかった。父さんが読み終えた新聞を広げ、天気予報の欄に目をやる。もちろん今日も雨マークが付いている。降水確率五十パーセントとある。一日の始まりから雨が降り続いていてもたとえ百パーセントと言わないのが天気予報である。外れたときの保険なのかもしれない。週間予報を見ても全て雨だ。
 僕は新聞を放り、またぼんやりとテレビを眺める。旅番組がやっている。場所は京都かどこかだろうか、神社が映っている。
 僕はまた昨日のことを思い出した。
 あの神社が頭から離れない。もう一度行ってみようかな、そう思い僕はテレビを消し、立ち上がった。
       

* 5滴の約束 *

 朝から降り続く雨は勢いを弱め、今は霧状になっている。
 僕は学校の門の前まで来た。学校は週末でも部活動のために正門が開いていた。しかし、この天気で活動する部活は無く校庭は静まり返っている。
 僕は紫陽花の森に近づく。霞の中いつ消えてもおかしくない、雪虫のように真っ白な紫陽花をまた見つけた。奥を覗くと、昨日と同じように一直線に続いている。
 僕はあの神社を目指し、またそれを掻き分けていった。
 しばらくして、開けた空間にたどり着いた。そこにはやはり神社が存在していた。昨日の出来事は幻では無かったのだと気が付く。辺りを見渡す。どうやらあの女の子はいないようだ。当たり前といえば当たり前か、と一人で微笑する。普通の人間が、こんな何も無いところに何度も来るはずが無い。すると、昨日からこうして二回も続けて来ている自分は普通では無いのかもしれない。
 僕は賽銭箱の方へと向かった。ここだけは人が二人は雨宿りできるような屋根が備えられているので助かる。僕は傘を閉じながら、その屋根に目をやる。
 そのとき、白い小さな何かがぶら下がっていることに気が付いた。
 手を伸ばすと届く位置にそれはある。触ってみると白い布のようだ。ハンカチ程度の白い布がただくしゃくしゃと丸められて、紐でくくって吊るしてある。
「なんだ、これ……? てるてる坊主じゃないよな」僕は独り言を呟いた。
「そうよぉ、て・る・て・る坊主よぉ」すぐ耳元で声がした。
「うわぁ!」僕は驚いて声を上げる。
 僕のすぐ横にいたのは、昨日、雨貝香澄と名乗った女の子だった。鮮やかな桃色のレインコートをフードまですっぽりと被って、にこにこしながらこちらを見ている。
 どこから現れたのか、忍者でもここまで気配を消すことは難しいだろう。
「あなた、臆病ねぇ。昨日もびっくりしてなかったっけ?」
「そりゃあ……急に声を掛けられたら誰でも驚くだろう」
 僕は伸ばしていた手を引っ込める。
「陽一くんっていったよねぇ。何しに来たのぉ?」彼女は尋ねる。
「なんとなく気になって来てみただけだよ。きみは? 何でまたここにいるの?」
 僕も尋ね返した。
「きみ、じゃあなくて香澄だって言ったじゃない。か・す・み。呼び捨てでいいわよぉ」
 僕の目の前で、自分の名前に合わせ空中を、ぴんと立てた人差し指でぽんぽんと叩く。
「あ、あぁ……、香澄ね。昨日はその、慌てて急に帰っちゃってごめん」
 僕は、昨日のことを思い出し、つい謝ってしまった。
「いいのよぉ、気にしないで」香澄はけらけらと笑う。
柔らかく優しい笑顔に、僕は少し恥ずかしくなった。
「これ、香澄が作ったの?」
 照れ隠しがしたくて、僕はてるてる坊主と呼ばれたそれを指しながら尋ねた。
「そうよぉ。上手でしょう?」
「上手って……。丸になってないじゃないか。もっと頭をまん丸にしないとてるてる坊主には見えないと思うよ」
 僕は別にてるてる坊主の職人というわけではないが、父さんが作るまん丸の綺麗なてるてる坊主を毎年見てきた。それに比べると、このてるてる坊主は酷いものだった。
「えー。そんなこと言うなら作ってみてよぉ、はい」
 香澄は白い布と紐をレインコートのポケットから取り出し、僕に渡した。
「え……。まぁ、いいけど……」
 僕はそれらを受け取った。新聞紙でもあれば丸めて顔の核にでもするのだが、今は無い。布の端をくるくるとたたみながら頭をつくる。丸に整えながら紐で首をくくる。残った布をひらひらと広げ、すぐに一体のてるてる坊主が完成した。
「……よしっと、できた。これでいいの?」
 僕はできたてほやほやのそれを香澄に渡す。 「うっわぁ! すごぉい! まんまるぅ!」
 香澄は目を大きく見開き歓声を上げる。てるてる坊主一つ作っただけで、こんなにも感激されるとなんだか少し気分がいい。
「これくらいのなら何個でも作れるよ」僕は少し得意げになって言った。
「本当! じゃあ、手伝ってよぉ! 百個……ううん、陽一くんがいれば千個だって夢じゃないわ!」
「手伝う? まだ作るの?」僕は不思議に思い尋ねる。
「そうよぉ。できるだけ多くね。ね! お願い、手伝ってくれるでしょぉ?」
 香澄は両手を重ね合わせ、お願いのポーズで僕を見つめた。紫色の瞳が僕を捕らえる。
「まぁ……いいよ、てるてる坊主くらいなら」
 僕は承諾した。心のどこかで面倒臭さがあったが、その宝石のように輝く瞳で見つめられると、何故か断れなかった。
「やったぁ! じゃあ約束! またここに来てくれる?」香澄は高い声で言う。
「わかったよ。何時頃ならここに来ているの?」
「別に何時でもいいわよぉ」そう香澄は言うと空を見上げ、あっと小さな声を上げた。
香澄につられて僕も空を見た。霧状のべたべたした雨が止んでいた。
「そういうことで、じゃよろしくねぇ。ばいばいー」
 彼女はそう言い残し、小走りで神社の裏側へと走っていった。
「あ、ちょっと! いつでもいいって言われても!」
 突然走り出した彼女を追うように、僕は駆け出した。しかし、
「いてっ!」
 雨で濡れた境内の段差に足を取られ、僕は転んでしまった。とっさに手をついて体をかばったが、手首を少し打ってしまった。
 立ち上がり、香澄の走った後を見ると、もう香澄はいなかった。
「なんだよ……、急に……」
 僕は手首をさすりながら、もう一度空を見上げた。霧は晴れ、霞がかった空は珍しく明るいが、まだぼんやりとしている。空を割る光の隙間から天使でも降りてきそうな雰囲気である。
 来週からは梅雨の中休みにでもなるのかもしれない。
 週間予報は外れるなと僕は思った。しかし、習慣予報が全て五十パーセントだったことを思い出し、やはりずる賢い方法だと、どうでもいい思考がよぎる。
 周囲の紫陽花たちは、久しぶりのわずかな太陽光を空から受け、水滴を光らせることでその喜びを言葉にしているようだった。
 時の止まったようなこの空間も、光が当たれば少しは活動するだろうと思いながら、僕は神社をあとにした。


続く


この作品は梅雨の季節に書き上げた連続小説です。
まだまだ続きます!
途中でも、作品の感想を一言でもいただけるととても嬉しいです!
感想、批判、一言……なんでも大歓迎です。
ずばり、○○点だ! と百点満点の点数を付けていただけると嬉しいです。
とはいうもののまだ続編がありますので、もしよければまたお越しくださいね。
書き込みの際は、どこかに『霧と霞と小さな魔法』と表記していただけると助かります。

掲示板

メールフォーム